明日はいよいよ公立高校の特色化選抜。

 ここ数日、作文や小論文、それに面接の指導を頼まれる。いずれも、冬期講習でで行ったものの復習。どの生徒も、基本的によく出来ている。試験中、平常心を保てれば、問題がないのではないかと思う。

 作文も小論文も「形式」が大切だと思う。

 形式というと、オマエは「形式主義者か」と言われそうだが、最近はそれでも構わないのではないかと開き直ることにしている。

 「中身(内容)」が大切なのはもちろんだ。しかし、その中身(内容)も形式がグチャグチャだと相手に伝わることは、まずない。「形式か中身か」という議論は不毛だが、形式の重要さは中身に劣ることはないと思う。

 芸術一般についてはよくわからないが、少なくても音楽については形式はとても大切だと感じている。交響曲でもソナタでも、もし、形式がなければ音楽としての価値はなくなると思う。

 同じことが作文でもそうだし、もっと言えば、子どもの勉強の全般についても言えるのではないか。経験的にも、成績と勉強の型は強い相関関係にある。

 そう考えると、教師は形式主義者であることが許されるのだろうか………?? 

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“形式” に2件のコメントがあります

  1. そう考えると、教師は形式主義者であることが許されるのだろうか………?? 
    →いいと思います。形式主義が一番良いです。変な個性主義は超天才君用の教育カリキュラムです。エジソンなどは実在したのかもしれませんが、ほとんどいません。99.99%は凡人です。
    形式主義でどの組織も動いているので、これに早くから適合した方が結果が出やすい。特に社会人では尚更。
    小論文などは、形式がしっかり整っている方が偉い。どこかで小さなミスを受験者はみんなする。模範解答のような小論文が作成できるだけで、かなり上位扱いされる。試験採点係も、形式が守られている論文は上司に推薦しやすいのです。

  2.  形式主義であることに許可(?)をいただき安心しました。
     昔、学生時代、人の悪口を言うときによく「形式主義者」という言葉が使われました。やはり、本能的にコワサを感じています。
     nakanoさんのおっしゃるとおり、99.99%は凡人。私も凡人。だから、形式主義が許されるということですね。

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