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2010年5月号……『溜め』 塾長/青沼 隆

先日、ある勉強会でとてもよい言葉に出会いました。「溜め(ため)」です。この言葉、勉強会の講師が、湯浅 誠著『反貧困』という書籍から引いた言葉でした。

「溜め」という単語は誰でも知っています。しかし、案外、日常会話では使われないのではないかと思います。私自身もこの言葉を使ったのは、恐らく地理の授業で「ため池」というのが最後のような気がします。子どもたちに、ため池とは、おもに農業用水を確保するために水を貯えた人工の池、四国、高松市に広がる讃岐平野のため池は特に重要と教えています。

ため池は水を「溜め」て将来の水不足に備えるものです。水がなければ植物は育ちません。ですから、水が不足しがちな地域では、ため池がないと安心して農業を営むことができません。

「溜め」と言えば、貯金もその1つです。貯金がないと、万一、病気やけがをしたときに、病院にも通うことができません。それに、その日から生活が困窮してしまいます。交友関係も「溜め」です。友人がいれば、未知の出来事や困った出来事に遭遇したときに相談に乗ってもらえます。一人の人間の持つ知識なんかは高が知れます。多くの友人がいれば、的確なアドバイスを受けられる可能性が広がります。
こう考えてみますと、「豊かな人」というのは、お金だけはなくさまざまな「溜め」を持った人と言い換えることができます。そして、「溜め」にはいろいろな種類がありますが、敢えてその中で最も大切なものは、“教養”ではないかと思います。教養を定義するのは難しいのですが、知識や常識に裏打ちされた理解力・判断力創造力、もっと言えば、その人をその人たらしめている人格に通じるものかと思います。

ところで、「溜め」はふだん必要とされません。ため池の水は、日照りにならなければ無用のものです。だから、雨のシーズンには顧みられることはありません。貯金も友人も同様です。しかし、これらは一種の保険として、日常の生活に余裕を与えています。

塾の中で子どもたちと接していますと、「なんで勉強しなければいけないの。大人になって役立つの。」という質問をよく受けます。実は、これはとてもやっかいな質問です。確かに、多くの大人にとって、二次方程式なんか必要ではありませんし、仕事上、英語を駆使している人も少数かと思います。でも、このことを、「溜め」という側面から捉え直すと別の視点が開けそうに思えます。

「溜め」のないギリギリの生活は人間を幸せにしません。勉強は「溜め」の1つと考えると、勉強の意義が見えてきそうな気がします。

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