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2008年12月号……『学歴ロンダリング』 塾長/青沼 隆

上位の学位
先日、ある研究会で某有名大学教授から「学歴ロンダリング」について詳しい話を聞きました。「学歴ロンダリング」とは、“これまでに得た学位よりも、上位の大学や大学院に進学、または留学することにより、最終学歴が更新されることを揶揄する表現”(『ウィキペディア』より引用)との意味です。

例えば、日東駒専レベルの大学卒業生がMARCHレベルの大学院に進学して、最終学歴をMARCHとしたり、あるいは、通信制大学に入学した学生が、編入試験で有名大学の3年生に進学することなどがそれに当たります。一般的に、入学試験は大学院の方が大学より易しく、また、3年次の編入試験は通常の入学試験より易しいのが実情です。このために、このような最終学歴の更新が可能になるわけです。

『ウィキペディア』は、“揶揄する表現”としていますが、同教授は学歴ロンダリングを基本的には好意的に捉えていました。その教授によると、日本は「学歴社会」ではなく「学校歴社会」であることがこの背景にあると分析しています。「学歴社会」とは大卒と高卒の違いによる格差、「学校歴社会」とは同じ大卒でありながら、その出身大学の違いによる格差を意味します。

学歴VS学校歴
例えば、2005年の統計調査では、大卒者の平均年収は673万円、高卒者は490万円となり、その格差は673÷490=1.37倍となります。一方、日本には750の大学があるそうですが、年収トップの一橋大学卒の年収は859万円、100番目の関西外国語大学卒の年収は571万円、その格差は859÷571=1.50倍となります。関西外国語大学の年収レベルは750大学のうち100番目です。それ以下の大学とはもっと大きな格差が生じていることになります(101番目以下の大学の年収は未公表)。従って、これだけをみても、「学歴」による格差は1.37倍、一方、「学校歴」の格差は1.50倍、だから、日本は「学歴社会ではなく学校歴社会である」というのが教授の説明でした。

同教授によると、「日本では、同じ大学といってもその格差はとても大きい。その格差が高校の格差を生んでいる。」とも分析しています。確かに、昨今の中学受験ブームはこれを反映したものです。少しでも偏差値の高い中学・高校に進学すれば、有名大学への進学に有利になることが背景となっています。

ただ教授は、ひたすら上位の有名大学進学を目指す“しゃかりき”な生き方より“そこそこ”の生き方を推奨しています。その1つがこの学歴ロンダリングにあります。通信制大学は、ほぼ、無試験で入学できます。そして、早稲田・立教・法政の編入試験は、一般の入学試験よりはるかに易しいと分析しています。また、例えば、日大出身者が明治大学の大学院、明治大学出身者が東大の大学院に進学する学生はよく見かけるとのことです。ならば、大学入試にそんなに“しゃかりき”になる必要はないという理屈になります。

“そこそこ”
学歴ロンダリングといえるかどうかわかりませんが、例えば、高専出身者の多くは国立大学の工学部に編入、もしくは同大学院に進学します。木更津高専の話では、本人が希望さえすれば、どこかの国公立大学に進学できると明言しています。さらに言えば、AO・推薦入試だって、これに近いかもしれません。多くの場合、一般の学力試験よりはるかに易しいからです(ただし、高校3年間の成績が問われます)。

“しゃかりき”になって小中高時代を過ごすのも1つの生き方です。ただ、“そこそこ”頑張るのも1つの生き方です。家庭の教育方針や本人の資質によって決めるべきもので、絶対的な正解はありません。ただし、中には、“そこそこ”頑張って、“しゃかりき”な人と肩を並べたい、と考える人もいます。ずるいと言われるかもしれませんが、これも1つの生き方です。どれを選択するかは、やはり、家庭と本人が決めることです。

伸栄学習会はこれらの生き方に、いずれも応援していきます。ただ、気持ちとしては、“そこそこ”の生き方にも魅力を感じます。多くのご両親さま、とりわけお母さま方は、わが子の勉強や成績に心を痛めています。このようなお母さま方に安心していただく1つの方法は、この“そこそこ”でも、わが子は大丈夫という生き方をご提案することだと思うからです。

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