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2016年2月号……『好きこそ物の上手なれ……? 』 塾長/青沼 隆

先日、ゲームソフトを作っている会社の社長と会ったときに、たまたま人材について話が及びました。私が、「どんな人を採用したいですか」と問いかけたところ、即座に「少なくても面接の時にゲームが好きだと言う人は採用したくない」という答えがありました。「もともとゲームは面白く遊べるように作り込んでいます。ゲームを好きになるのは当たり前だからです。」というのがその理由でした。とても印象に残った会話でした。

「好き」については、「好きこそ物の上手なれ」ということわざもあります。好きなら一生懸命やるし、嫌いなら手抜きをします。当然ながら、成果に差が出ます。ならば、好きなことをやった方がいいし、豊かな人生も送れそうです。自分の好きなことをやるべきであり、打ち込める好きなことを見つけた人は幸運だ、というのは世間の常識にもなっています。そんな風潮もあって、若い人から、「○○が好き。だから、この道に進みたい」とか「××は自分に合っていない。だから、やりたくない」と正面切って言われると、実態とズレがあっても反論することが困難です。

一方、塾で子どもたちと接していますと、勉強が好きという子どもは多くありません。授業よりマンガ、難しい問題よりゲームの方が楽しいと答える子どもが大半です。だからといって、「好きこそ物の上手なれ」の論理で、勉強よりマンガやゲームを勧める両親はまずいないと思います。もちろん、私たち講師も同様です。

こう考えますと、「好き」という言葉にはさまざまな意味合いが込められているように思います。ゲームにはまって取り憑かれているのも「好き」だし、野菜よりサカナの方が美味しく感じるのも「好き」です。当初は取っつきが悪かったが試行錯誤して「好き」になったものもあるし、今は嫌いだが「好き」になろうと努力しているものもあります。勉強のように、たとえ嫌いでもやらなければならないもあります。どうも一筋縄ではいかないようです。

ただ、1つ言えることは、大人の「好き」と子どもの「好き」は違うように思えます。程度の問題ですが、人間として経験を積んだ者と発展途上の者では、「好き」という同じ言葉であっても意味が異なる、つまり、「好きこそ物の上手なれ」は、大人に向けたことわざであって、必ずしも子どもに当てはめるべきではないと考えます。

子どもの「好き」には、「安易さ、手っ取り早さ、ラクである、取り憑かれている、慣れている」などが背景にある場合が多いように思えます。そして、面倒なこと、努力を要することを避ける場合の便利な言葉として使われがちです。必ずしも「どんな労力も惜しまず、ときには犠牲を払い、そして才能を開花させるもの」を指しているわけではありません。そういう意味で「好き」には注意が必要と感じています。

努力する人は希望を語り、
怠ける人は不満を語る
(井上 靖)

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