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2001年7月号……『質問』 塾長/青沼 隆

「塾はわからないところを教えてもらうところです。だから、わからないことは何でも先生に聞いていらっしゃい。」………親が子どもに語るこの言葉について、どうお感じになるでしょうか。恐らく、ほとんどの方が“その通り”とお感じになるような気がします。塾はわからないことを教えてもらう場、わからないことは質問すべき、ということは表面的には全くその通りです。しかし、最近とみに、この背後に重大な過ちがあるような気がしてきています。

子どもたちが発する質問の内容はさまざまです。しかし、塾の教師になって20年をふり返りますと、質問のバラエティはものすごく広がってきているような気がします。その中で、特に問題だと感じますのは、自分で考えたり調べたりせずに、すぐに質問をする子どもが増えたことです。例えば、問題の解説を全然読まないで質問したり、辞書を引けばわかる語句の意味を聞いてきたり、複雑な計算を先生にやらせたりするケースなどです。形の上では質問のようですが、多くの場合、実態は手抜きです。しかし、何よりもやっかいなのは、このような子どもが、質問をすること自体を“良いこと”と信じている節があることです。

“良い質問”と“悪い質問”と区分けするのは難しい問題です。区分けのつかないものもたくさんあります。ただ、この20年をふり返りますと、明らかに子どもたちの質問は悪くなっているような気がします。一言でいえば、教師を“便利屋”扱いする傾向が出てきたことです。自分で考えるのが面倒なときに、自分の頭を使わずに教師の頭を利用して問題を解こうとする姿勢です。よく“手取り足取り教えてくれる先生”“親切に教えてくれる先生”が理想と言われます。ある塾は、広告に“少人数制で、毎回、どの子も必ず質問する”というフレーズを使っています。しかし、本当にこれを額面通り受け取ってよいのかどうか疑問に思います。

これと関連して感じますのは親子の違いです。私の20年の経験を延長すれば、ご両親さま方の多くは、子ども時代に、今の子どもたちに比べると、はるかに“良い質問”をしてきたのではないかと想像します。自分で考えわからないことを質問するのはとても大切なことです。ですから、ご両親さま方は、無条件に“質問は常によいもの”とお感じになって、“時には悪いもの”という視点をお持ちになっていないと思えることです。「質問は良いことだ(いつでも好ましいものだ)」という常識は、昔の子どもたちが築き上げた常識だと思います。子どもの「わからない」という言葉を、大人の経験や常識で判断すると、時には大きなスレ違いが起こるような気がします。

もちろん、改めて申し上げるまでもなく、質問のすべてが悪いわけではありません。わからないことには、キチンとした対応を取るべきですし、子どもの手抜きには厳しい姿勢で臨むべきです。こう考えますと、これら玉石混淆の質問に対してどう対処するかは

、結局のところは、教師の力量の問題となります。子どもたちが勉強する以上に、私たちも勉強して力量を高めなければならないと自戒します。

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