2002年8月号……『読書感想文』 塾長/青沼 隆

いよいよ夏休みです。最近は昔ほど学校の宿題が出なくなりました。ご両親さまの子ども時代とは様変わりです。少なくても公立学校では、分厚いプリントやサマーテキストは見かけなくなりました。しかし、そんな今でも、読書感想文は夏の定番のようです。今年も、子どもたちはこれに苦労させられると思います。

夏休みに読書をさせるのはたいへん良いことです。1冊といわずに何冊も読んで欲しいと思います。しかし、私は読書感想文には反対です。私自身の経験でもよい思い出はありません。本は楽しんだものの、読書感想文を書く段になって、すっかり嫌になったことが何回もありました。読んだ本に感動を覚えれば覚えるほど、感想文を書くのが難しくなります。自分の感動を、文章を通じて他人に伝えることができれば、これはもうプロの領域です。感動を言葉にするのは簡単ではありません。言葉になっても、「すごい」とか「すばらしい」とかの単語で終わるのが関の山です。感動を論理的に組み立て、適切な言葉を選択して、それを他人に理解させられることなど素人ができるわけがありません。まして、それを、子どもに要求するのはどうかしているとしか思えません。

本を読んで感想を書くという行為は、別な表現を使えば、「書評」を書くということです。ですから、読書感想文とは書評を書かせることにほかなりません。一般的に、書評を書くには、まず、書かれた内容を正確に把握しなければなりません。次に、その内容を自分の問題意識に照らして再構築する必要があります。さらに、それらを批判的に捉え直さねばなりません。さらにさらに、自分の言葉を使って読者(この場合先生)を説得する必要があります。どのプロセスも極めて高度な知識や技能が求められます。そもそも、本の内容を正しく把握できるなら国語の授業は不要です。問題意識を全員の子どもが持っているなんて夢物語です。批判精神を子どもに求めるのは早すぎます。大学生だって怪しいものです。こんな高度の事柄を子どもたちができるわけがありません。不可能を要求すれば無理が生じます。

教師が読書感想文を課す理由の1つは、恐らく、子どもたちが本当に本を読んだかどうか確かめたいからだと思います。「本を読むだけでよい」と言ってしまえば、子どもたちがズルをするかもしれません。私も教師の一人としてこの気持ちはわかります。しかし、考えてみれば、他の宿題だって同じことです。友だちの答えを写す子どもだって現実にいますし、誰かにやってもらう子どもだっています。なぜか、読書だけは、「形式」が重んじられます。考えてみれば変な話です。

当塾ではこの夏から、「読解力を育成する講座」を開講します。この講座では、速聴という方法を用いてたくさんの本を読んできます。現在、私も含めて、講師たちが留意していることは、子どもたちに感想を強要しないということです。子どもたちが自発的に話をしたければ、その話は熱心に聞くつもりです。しかし、こちらからは一切、内容について問わないつもりです。読書は個人的な楽しみです。他人が割り込むのは越権です。読書感想を強要するのはやめにしたいと思います。この講座を受講させるご両親さまにも、この点をご理解いただけたら幸いです。

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