2017年8月号……『読み取り力』 塾長/青沼 隆

改めて言うまでもなく、読解力はあらゆる教科の基礎です。読解力が求められている科目というと国語が連想されがちですが、それは一部に過ぎません。理科でも数学でも、どんな教科でも読解力がなければ先に進むことはできません。

そもそも、試験問題は文字の固まりで作られています。そして、最近は教科を問わず、長い文章で出題されることが多くなりました。理科や数学の知識が問われる以前に、問題の意味を読み取ることができなかったり、あるいはそもそも読み取る気力がないために、手がつけられなかったりするケースが見られるようになりました。理科や数学の知識を身につけるだけなら、たいした問題にはなりません。多くの場合、さほど時間をかけないで修復が可能です。しかし、読解力の欠如となるとそうはいきません。

読解力についてはいくつかの誤解があるように思えます。その1つが、読解力を身につけるには、国語の勉強をすればよいというものです。確かに国語と読解力は密接な関係にあります。国語の勉強は、文章の読み取りを精緻にします。しかし、文字を読み取る力、つまり文字を頭で咀嚼する力を養うことはできません。

ちょっと極端な例ですが、「昔あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ柴刈りに………」という文章を「ム・カシア…ルト・コ・ロニオジ……イサントオ・バア…サンガ………」と読む子どもがいます。この子どもは、文字の読み取りができていない、つまり、文字情報を咀嚼する力が不足しています。このような子どもにいくら精緻に読む方法を指導しても意味がるとは言えません。この子に必要なのは、読み取りの精緻さではなく、「読み取り力(りょく)力」(咀嚼力)そのものです。国語の勉強だけでは読み取り力(りょく)力を養うのに限界があります。

よくある誤解のもうひとつが読書です。本を読めば読解力が向上するという考え方があります。この考え方は決して間違っていません。読書は読解力を向上される最も有効な手段のひとつです。「うちの子は読書をしないから読解力が弱いのでしょうか?」とよく聞かれることがあります。ただし、読解力のない子は読書を「しない」のではありません。読書が「できない」のです。

読み取り力(りょく)力のない子どもは「ム・カシア…ルト・コ・ロニ………」の読み方しかできません。この子にとって、読書は意味が不明なもの、そして最も忍耐を要する行為です。たとえが少しズレるかもしれませんが、アラビア語を知らない人がアラビア語の本を読むのと似ています。つまり、「本を読めばいい」という指摘は、「どうすれば本を読めるようになれるのか」という方策に変換する必要があります。

私自身塾の講師として、読解力を基礎から向上させるためにさまざまな試行錯誤をしてきました。その結果行き着いたのは、今から十年ほど前に出会った「高速読み聞かせ」です。原理は驚くほど単純です。幼子に対して母親が行っている「読み聞かせ」と似たものです。
読み聞かせは、言葉を知らない子どもに言葉を習得させる最も有効な手立てです。ただ、塾でお預かりしている生徒は幼子ではなく、もう少し年長です。この子にとって人の発する声のスピードはまどろっこしいところがあります。もっと、スピードを上げても十分に咀嚼することができます。そこで、機械の力を借りて声のスピードを調整したのが高速読み聞かせです。

このコースを導入後、100名を超える生徒に受講いただいて成果を上げてきました。この夏休みに是非、受講をご検討いただけたらと思います。

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