2013年1月号……『塾の強み』 塾長/青沼 隆

このところ学校で授業を行う機会が多くなりました。昨年も公立中学や高校で私を含めて伸栄学習会の講師が授業を行いました。子どもたちの学力向上のために、学校が塾を利用するという動きは増えてきそうな気がします。これは私たち塾の講師にとっても有意義なことと感じています。塾の講師が塾で授業するのは、サッカーに例えれば「ホーム」のゲーム、一方、学校での授業は「アウェイ」になります。「アウェイ」には、「ホーム」にはない緊張感があり、これがさまざまな気付きや刺激を与えてくれます。

授業そのものは塾でやっても学校でもやっても大きな違いはありません。生徒のレベルに応じて内容や進度のスピードを変えるのも変わりありません。ただ、塾と学校とは決定的な違いが1つあります。それは、学校での授業は、講師側には生徒を選ぶ権利がないこと、一方、生徒側にも講師を選ぶ権利がないことです。つまり、生徒にとっては、この先生に教えてもらいたいからこの授業を受けるのではなく、また、指導を受けるにあたって、これこれを守るという事前の約束をしているわけでもありません。

これは塾とは大違いです。生徒・保護者は少なくても、数ある塾の中から特定の塾を選んでいます。塾の指導理念に共鳴して、塾の規約の同意を前提に塾と契約を結んでいます。従って、学校と塾の立場には大きな差があります。例えば、宿題です。塾では宿題をやらせるために、保護者に協力を呼びかけたり、塾に残してやらせたり、あるいは、最後の手段として塾を止めるという提案もできます。しかし、学校ではまさかここまで踏み込むことはできません。

宿題だけではありません。ノートの選び方、ノートの使い方も同様です。例えば、伸栄学習会ではノートの選び方として、罫の細かい「B罫」は使用禁止としています。しかし、「アウェイ」の授業では、罫の幅の広い「A罫」を使った方がよい、と提案はできますが、「B罫」の使用禁止まではできません。他教科と混ぜたノートの使い方(理科と数学を混ぜて使う)も止めて欲しいのですが、これも禁止することができません。

その他、式の立て方、スペルの書き方など、授業の細部にわたって塾では当たり前の指導が、「アウェイ」では踏み込んで行うことが難しくなります。塾でこれらの指導が可能なのは、煎じ詰めれば、塾の教育が「公教育」ではなく「私教育」だからです。

「公教育」はすべての国民に対して国家が行う教育です。よほどのことがない限り、生徒・保護者は学校を止められませんし、学校も(特に公立は)生徒を止めさせることができません。従って、講師の自由裁量の余地は限られます。一方、私教育は、保護者の信託を受けて、「(目の前の)この子のために行う」教育です。イヤなら生徒はいつでも止めることができますし、塾も同様です。従って、保護者の信託があり限り、塾は自らの信条にもとづいて生徒を指導できます。

塾と学校の大きな違いの1つはここにあるように思います。塾では「踏み込んだ指導」「コダワリを持った指導」が可能です。そして、それが塾の強みではないかと感じています。今後ともこの強みを通じて、生徒・保護者の信頼が得られるよう、講師一同研鑽を積み重ねる所存です。

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