2002年春号……『ピグマリオン効果』 塾長/青沼 隆

ほめる教育

ギリシャ神話に、自分の作った彫像に恋をした彫刻の名人、ピグマリオンの話があります。彼は自分の理想とする女性の像を彫ったのですが、あまりの美しさにその彫像に恋をしてしまいました。「ああ、これが人間であったら………」と来る日も来る日も思い続けたところ、愛の女神アフロディーテはこれを哀れに思い、神通力で彫刻に命を与え人間に変えました。そして2人は結婚し子供までもうけました。心から願うことによってその願望が実現したという話です。

一方、アメリカの教育心理学者ローゼンタール博士は次のような実験を行いました。まず、年齢も学力も同じレベルの30人で2つのクラス(AとB)を作ります。そして、その後、テストを行うたびに、クラスAには、その答案を返し一人ひとりに注意を与えたり叱ったりします。一方のクラスBには、結果を知らせず、よくできていたとだけ告げて、わずかな進歩もほめて期待をかけていきます。このようなことを1年間続けたところ、クラスBの成績の方がクラスAより向上しました。つまり、人はほめられ、期待されると、本人も知らず知らずのうちに向上する、というわけです。これを教育学では、上記のギリシャ神話とかけて「ピグマリオン効果」と呼んでいます。

ピグマリオン効果は、「叱るよりほめよ。そうすれば良い結果が生まれる。」という意味で、教育の世界では一般的に肯定的に捉えられています。山本五十六の、「やってみて、言って聞かせてさせてみて、 ほめてやらねば人は動かぬ。」という言葉ではありませんが、子どもを育てる点で「ほめる」ということは大切なことだと思います。ただ、私はこのピグマリオン効果について、ずっと、ある種の割り切れなさを感じてきています。

ピグマリオン効果への疑問

塾で子どもたちをほめる場面はよくあります。成績が上がったとき、宿題を頑張ってやってきたとき、落ち込んでいる子どもを励ますとき………さまざまです。ほめれば子どもたちはほぼ例外なく喜びます。ただ、その喜びが次の良い行動を生み出すかどうかは別です。場合によっては、「この程度でいいや」という慢心につながってしまうこともあります。

以前読んだある本にこんなことが書いてありました。絵を子どもに教えている方の話でしたが、子どもが描いた絵をほめると、子どもは次々に絵を描こうとする。一生懸命やってはいるが、その絵の質は、描けば描くほどどんどん低下するというものでした。ほめることが逆効果になってしまうケースです。塾の現場でも同様で、ローゼンタール博士の実験が物語るほど単純ではないと感じています。

また、「子どもをほめてやる気を出させて成果を上げる」という点を反対側から捉え直すと、「相手を喜ばせて、その人を意のままに動かす」という功利的な側面が感じられます。人間は、大人であれ子どもであれ、自分が望んでいるものをくれる相手に対しては従順になります。特に教育の場面では、先生と生徒は絶対的な差があります。生徒にとって先生から「ほめられる」ことは何よりのご褒美です。このご褒美を先生が上手く使えば、先生は生徒を意のままに動かすことができます。「ほめて成果が上がれば良いではないか」という考えもあるかもしれません。しかし、私には、立場や強みを利用して、相手を意のままに動かすという功利的な行為にどうも釈然としないものが残ります。

最後にこれが一番重要な点ですが、そもそも、教師は子どもの評価者であってよいのかどうか、特に、塾という場において評価があってよいのかどうかという点です。子どもをほめるということは、その子どもを評価することから始まります。評価の結果、その評価が良かったから(あるいは良いと装うから)ほめるという行為につながるわけです。しかし、教師は子どもを本当に評価できるのでしょうか、もっと言えば、人間が人間を本当に正当に評価することができるのでしょうか。確かに、私たちは日々の授業の中で、宿題をやってきたかやってこなかったか、成績が上がっているか下がっているか、理解しているかしていないかなどを評価しています。しかしこれらは、すべて、その子どもの「行為」を評価しているだけであって、その子どもそのものを評価しているわけではありません。しかし、ピグマリオン効果の「ほめる」には、単純な行為だけの評価に留まらず、人間そのものの評価が含まれているような気がしてなりません。しかも、そこにある種の作為があるとしたら、これは人間性に対する冒涜です。単に、先に生まれたからとか、知識が多少あるからといって、先生が子どもそのものを評価するのはどうでしょうか。

「ピグマリオン効果」という言葉を知ってもう20年以上たちます。それ以来、ずっとこれに引っかかりを感じてきました。「ほめる」という行為すべて否定するつもりはありませんが、教師はもっと謙虚でありたいと感じています。

トップページに戻る