2015年7月号……『クロノスとカイロス』 塾長/青沼 隆

ギリシャ語には「時」を表す単語が2つあるとのことです。1つが「クロノス」、もう1つが「カイロス」です。「クロノス」というのは、時計で計ることのできる、過去から未来へ機械的に流れる時です。ふだん私たちが一般的に使っている、例えば、7月1日とか8時間20分とか客観的に示すことのできる時です。ですから、クロノスはどんな人間にも平等に与えられています。

一方、「カイロス」は、人によって、あるいは場面によって、速く流れたり、遅く流れたりする「時」です。 例えば、楽しいとき、集中したときに時間はあっという間に流れます。反対に、辛いときや退屈なとき、時間は遅々として進みません。また、人生には、誕生があり死があり、感動があり、新たな出会いがあります。人には必ず特別な意味を持った時があります。これらを「カイロス」と言います。

つまり、クロノスが「客観的な時」、カイロスが「主観的な時」であるとも言えます。新約聖書の中にも、時を表す言葉として、カイロスやクロノスが頻繁に出てきているとのことです。私たちの人生にとって重要なのは、もちろんカイロスであるのは当然です。

このクロノスとカイロスについて、以前、別の話を聞いたことがあります。それは、幼児はカイロスの世界に住んでいて、一方、大人はクロノスの世界に住んでいるというものです。人によって異なると思いますが、カイロスからクロノスへの移行期は、幼稚園・保育園から小学生低学年のころかと思います。クロノスに移行する以前の幼児にとっては、時間は主観的なもので、「時間」という概念(クロノスの概念)を獲得していません。私自身も、幼児の時の記憶は断片的で、整理がされていません。クロノスを獲得していなかったからかと思います。

人によって異なるかもしれませんが、多くの人にとって幼少期の思い出は楽しくメルヘン的です。その意味で、幼少期の時間は貴重です。

ただ、学習面ではそうではありません。例えば、小学2年生の算数で「時計」が出てきます。この単元は、わかる子にとってはとても簡単なのですが、そうではない子にとってはかなり難解です。いつも指導して思うのは、「わからない子は時間の概念そのものがわかっていないのだ」ということです。恐らく、この子はカイロスの世界に住んでいるのではないかと思います。せっかくカイロスの世界にいるのに、何故、ムリにクロノスの世界に連れ出すのか、疑問を感じることがよくあります。

同じことは他にもたくさんあります。算数だけに限っても、例えば、「割合」の単元は多くの子どもが苦手にします。大人にとって「30%の割引」は「安い」と直感できます。でも、割合の概念を持たない子どもにとって、「30%」はワケのわからない数値です。この子らも、やがて成長して、社会の荒波に揉まれれば自然に「30%」の意味を獲得するだろうと思います。

子どもは必ず成長します。しかし、成長するということは、同時に大切なものを失うことを意味します。ならば、ムリに成長を促す必要はあるのでしょうか。イヤでも子どもは成長します。成長することはもちろん大切なことです。でも、子ども時代は戻りません。子どもたちには、「今」という「時」、カイロスを大切にして欲しいと願っています。

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