2016年3月号……『「勉強ができる」ということ』 塾長/青沼 隆

本年度の入試も終わりました。入学試験は本人にとっても保護者にとっても大きな試練です。試練という意味では、たぶん、本人より保護者の方が重いかもしれません。これまで数多くの方から、「私のときより息子(娘)の受験の方がずっとハラハラしました………」という話を聞きました。確かにその通りかもしれません。多くの子どもは、受験に対する意識が高くありません。高校受験の場合、夏休みごろに本気モードになる子どもはほんの一握り。9月になっても肌寒くなっても他人事のよう。本腰を入れて勉強を始めるのは冬休み、あるいは年明けというのが一般的です。

公立高校の場合、例年、前期選抜が2月初旬、後期選抜が2月末ごろです。従って、実質的な「受験生」の期間は、前期選抜で合格した場合で1ヶ月半、後期選抜の場合は2ヶ月程度となります。あまりにも短いのが残念です。ただ、そうは言っても、この時間はその子にとって特別な意義を持つのではないかと思っています。

私自身、塾の講師になって30年がたちました。「勉強が大切」という点では考え方に変わりがありませんが、その「確信」に大きな変化がありました。7年前に主に失業者を対象にした職業訓練を始めたことが要因です。よく、「学校の勉強は社会で役に立たない」、「東大を出ても社会で通用するとは限らない」と言われます。何となくイヤな感じのする言葉ですが、ただ、これは確かに一面の真理でしょう。この実例はおそらく枚挙にいとまなくあるだろうと思います。以前の私はこのような言葉に対して、正直なところある種のたじろぎがありました。勉強に対する「確信」がなかったからだと思います。

勉強については、「よい成績を取る⇒よい学校に進学する⇒よい会社に入る」といった功利的な捉え方もよくされます。これもこれで一面の真理かもしれません。ただ、私が職業訓練の経験で得た「確信」はこれとは違います。それはつまり、「勉強をしっかりやった人は、社会人になっても学ぶことができる。この経験の乏しい人は、大人になって新たな学びをしようとしてもなかなか手につかない」ということです。また、「大人になって困難に遭遇した時に、子ども時代に勉強を苦労した人は、それを乗り越える力がある。一方、そうでない人は困難に遭遇すると、乗りこえる努力をしないで避けようとする」傾向があるということです。

学習塾は毎年、子どもを迎えて、子どもを卒業させます。だから、目の前にいるのはいつも子どもです。この子たちの将来の姿を想像はできても、リアリティという点ではイマイチでした。それが、大人、しかも人生の困難に遭遇している大人を対象にした職業訓練を行うことにより、子ども時代の勉強との関連をリアルに見つめることができるようになりました。

「勉強はできなければならない」と思います。

「勉強ができる」とはもちろん、いい成績を取るということではありません。そうではなくて、人生のいつの時点でも学べる、努力できるということです。そして、そのためには、子ども時代に十分な勉強の経験が必要です。この経験の厚みが、人生を決定づける大きな要因の1つになるのではないかと感じています。そう考えますと、高校入試で「実質的な受験生」の時間が1ヶ月・2ヶ月というのはあまりに短すぎます。ですから、せっかく作った勉強の習慣を高校入試終了後も持ち続け、高校3年間をこのまま走り続けて欲しいと願っています。学びの習慣は生涯の財産になると信じているからです。

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