「公立小学校での英語教育の現状と展望」というテーマのセミナーに出た。


 平成23年度から小5・小6で英語の授業が必修化される。この影響やどんな点に注意を払っていったらよいのか参考になればと思って出席した。


 総合学習などの形で英語を行っている小学校がすでに97%あり、そのうち、小6では年間で平均16時間の授業が行われているとのこと。


 平成23年から必修化されても年間の授業数は35時間(週1回の授業)だから、授業時間の面ではあまり大きな変化はない。道徳と同じように成績がつくわけではない。


 保護者の意識の面で変化があるかもしれないが、伸栄学習会では、すでに英会話も行っているし、小学生対象の英検対策なども実施している。


 多少、英語を受講する小学生が増えるかもしれないが、現時点では、特に、何か特別なことを新たに考える必要はなさそう………というのが今日の印象だった。


 ただ、それはそれとして、ちょっと気になった点があった。


 ネイティブの講師について。


 文科省はできればネイティブの講師を学校現場に置きたいとのこと。これが実施されれば、ネイティブの講師は今よりもっと増えることになる。


 しかし、これまで、いろいろな学校現場で外国人講師の問題点について話を聞いてきた。


 中には、教師以前に問題のある先生が相当いるとのこと。さらにこの数を増やそうとすれば、採用基準は今よりももっと甘くなりそう。そうなったとき、今でもいろいろあるのに、いったいどういうことが起こるのだろうか。


 伸栄学習会でも、一人の外国人講師を採用するのに数十人の方と面接をしてきた。その中には“アヤシイ人”もかなりいた。一人しか採らないから、贅沢な条件を出して、ベストな人を選べた。


 でも、たくさんの人を採らなければならなければ話は別。


 小学校は大丈夫だろうか………???

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“英語必修化” に3件のコメントがあります

  1. 英語が小学校から勉強する仕組みになる議論がされているようですが、
    結局のところ、大学入試で必ず英語が受験科目に導入されているのがかなり原因だと思います。
    理系、文系、体育大学問わず、なぜかどの学科でも入試科目の英語はあるようでした(僕が受験したのは1997年ぐらいのことですが)
    中学生から英語を公教育で教え始めるにあたっての先取り学習という発想なのかもしれませんが、どんな科目でも基礎力が充実されていないと、伸びが出てこなくなります。
    数学にしてみれば、上位学校の受験生については、算数レベルの基礎演算が早く、正確です。英語は基礎の単語や五文型から地道にやるのが結局のところ一番早道な気がします。
    早くから英語の学習を始めればできるようになるのではなく、物量が多い人が出来ているだけのような気がします。数学も似ている。理系でも微分積分や物理がマスターできる人は、例外なく、無数のもっと簡単で基礎的な演算をやっている。
    帰国子女神話説がありますが、知人の帰国子女は、だいたい、親が有名会社勤務で厳しく躾けられて、厳しく勉強させられているだけだから、英語が出来るのです。普通に考えたら、友達作りづらい、二つの言語を習得しなくてはならない、という劣悪な環境ですから子供のころから努力の連続、「帰国子女の偏差値だけ見て羨ましがるヤツは馬鹿でしかない」、と知人に説教されましたよ。
     そんなことを社会人になって考えることがありました。
    世間でさんざん叩かれている文部省のシステムの公教育は完成度についてはかなり高いと僕は思っています。さんざん叩いて疑問を提示している側が結局それ自体が仕事になっているだけのような気がしますね。
    ここ数年ぐらいでいろいろ改良を加える状況下にあるかもしれませんが(少子化、ゆとり教育、廃校、カリキュラム改定)結局は、

  2.  いやぁ、まったくnakanoさんのご意見に賛成です。社会の第一線からは、私たち以上に教育のことがよく見えるのですね。
     ご指摘の「基礎力」「物量」「帰国子女」について、正にその通り。私にもたいへん小気味よく響きます。
     私のコンピュータに問題があるのかどうかわかりませんが、コメントの先が読めません。
     お時間のあるときに続きを投稿いただけませんか。
     よろしくお願いします。

  3. 青沼先生
    コメントが長すぎるとカットされる仕組みになっているようです。
    前回の続き)
    ここ数年ぐらいでいろいろ改良を加える状況下にあるかもしれませんが(少子化、ゆとり教育、廃校、カリキュラム改定)
    変化しても、結局、努力量の多い人が勝ちやすい環境だと思います。
    方法論を展開させる(つまり教育カリキュラムや教員の向上、奇抜な教育プラン)のが議論の主流で、これに多く期待している人もいるかと思いますが、結局物量で決まるような気がします。
     面白いもので学校生活の延長に社会人生活が乗っています。日本人の生活環境は良く出来た官僚制なので、
     仕事環境の組織で実績を出すには、努力量に比例しやすいです。
     僅か数人の超天才が活躍する社会ではなく、努力量に応じて昇進や昇給が決まり、さらに年功序列で、終身雇用のシステムが確立されているから努力をひたすら他人より多めに積めば誰でも遅かれ早かれ平均を抜けることができる。
     官僚制が良い悪いを議論すること自体がサボり主義なだけですね。努力量で昇進が確定して何が悪いのか、試験の成績、勤務態度、勤務実績、で評価する以外の方法は多分無い。
     方法論万歳ではなく、
     努力量万歳
    これでは見もふたも無い・・

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